アメリカでの採用活動
Blog|更新日:2019年9月29日/日曜日
1999年にはじめて志門塾で外国人講師を採用して20年が経ちました。初めて来た外国人講師はレイチェル。どう採用していいかわからず、自分が日本語を教えに約1年間ジョージア州にいる間に教えた高校生600人にエアメールを送りました。彼らは、夏休みの間にGovernor’s Honors Programというジョージア州選抜合宿のようなものに参加していた生徒です。自分は約50人の高校4年生に日本語をminorとして6週間教えました。それらの生徒がちょうど4年たって就職する年と重なっていたからです。当時はまだメールも今ほど普及しておらず、手作業で送りました。それでも、そんな陳腐な案内では採用できるはずもなく、一人で契約書を書くことに・・・・。自分が日本語を教えていた校長に頼んでその学校の人材を採用する際の契約書を送ってもらい、それをひたすら辞書とにらめっこしながら書き換えました。自分が教えた生徒数人と、別の生徒が反応して返事をくれました。それでも、「こんな契約書ではだめだ」と弁護士に言われたと断られました。唯一、レイチェルがそんな契約書を気にせず1999年に初来日してくれたのです。その後は、レイチェルに契約書を手直ししてもらい、アイバン、チャドといった外国人が来日。そして、キム、ジョンと続き、採用方法も変わってきました。(つづく)